Anti-Merchandising


Joan Miró: Painting and Anti-Painting 1927–1937
November 2, 2008–January 12, 2009
MOMA NY


     世界中というよりも資本主義経済大国においての《金融危機》が騒がれている中、 美術の世界においても《危機》としてあちらこちらの美術館運営危機や市場のなかでも美術オークションでの売買危機などが聞かれている昨今、ニューヨークの MoMAにてジュアン・ミロの『絵画とアンチ絵画 1927-1937』と題された、あまり世に知られていないミロの作品をそろえた展覧会が開催されてい る。1927年から11年間に制作されたもので、展示されている多くの作品が個人蔵であったり、作品の保存状態不良で移動不可能のために、展覧はMOMA のみで行われる。
     1927年から1937年という時期は、ファシズム勢力の拡大やスペイン戦争の 勃発、そして第二次世界大戦へと向かっていく社会情勢の不安定な中、ミロはパリとカタルーニャに住んでいた。20年代の半ばパリで展覧会を開いたミロの絵 画の評価は非常に高いものであったが、芸術作品が〈商品化計画〉されていることを危惧して、「絵画を抹殺しなければならない」と宣言し、絵画を売ることを 一時やめたり、オブジェやコラージュなどをはじめた時期に入る。
     このミロの絵画抹殺宣言は、ダダのような否定的芸術破壊とは正反対なるもので、むしろ建設的な芸術革新の意味を持っていた。
このアンチ絵画は、後々道義上正当ではないと言い渡されたが、精神的な気構えと伝統的な制作技巧に対する革新だったのだ。 《うつくしきもの》を作り上げることへの拒絶が、出来るだけさらに浅ましく、ちぐはぐな素材を用いることへと僕を導いた。
とミロはアンチ絵画について語った。絵画の素材としてその当時使ったものは、砂、土、石、縄、貝殻、コルク、ホッチキス針など。

     絵を売らなくなった時期のあるエピソードをミロの孫が語った。
ある日のこと、空腹に耐えかねたミロは、住んでいたアパートの管理婦人に、何枚かのデッサンと鹿のシチューを取り替えてくれないかと申し出て、管理婦人は快く一皿のシチューをミロに与え、デッサンを受け取り、自宅に入るなりデッサンを破り捨てた。
     このエピソードを読んだときに、アルモドバルが、「俺は魂は売らないからね」といった言葉を思い出した。現在は芸術作品の商品計画化が売る側だけでなく、創 る側にまでも、あたかも当然のごとく浸透している風潮もあるけれど、市場における数字の価値ではなく、芸術作品の定義というかその本質価値について考える なら、中身のない物につけた概念の付加価値そのものを評価しようがないと思うのだけれど。その辺のことを明確にするのは、言葉で表現する評論家の役目だと も思う。

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