レイナ・ソフィア美術館の建物と歴史

2008年2月15日 (金) Fragmentos puentefuente

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     レイナ・ソフィア美術館ができたての頃には、美術館の旧図書館に入り浸りだった。現代美術に関する文献が主に揃ってたので、本を読んだり、写真集や画集とか ビデオを観たり、音楽を聴いたりしていて、その頃には大学の図書館にもパソコン目録がなかったけれど、見つけたい本があればパソコンで調べられたし、私物 の持込は禁止されてたけれど、いくらでも用紙をくれてメモも出来たし、コピーをしたければ、図書館の奥の隅に隠されたようにコピー機があった。何回か知り 合いと出くわしたりもしたけれど、大方は人気がまばらで静寂なる空間の中、シンプルだけれど洒落たデザインのイタリア製の4人掛けの机とか、座り心地のいい椅子だとか、マン・レイの[天文台の時―恋人たち]の 巨大な写真が壁に掛けられてたり、また同じ作家のメトロノームのオブジェ[破壊されるべきオブジェ]の人間大の大きさの複製なんかもあってりして、いろい ろと細かいところまでの空間演出されているのが魅力だった。図書館へは地上階(入り口階)からエレベーターに乗っていく以外には入れなかった。ガラスでは ない普通のエレベーターの横に非常階段があり、狭い石の階段に霊気が潜んでいそうなそんな印象があって、病院だったのを思い出していたりした。
     現在は美術館になっている建物は、聖カルロス病院として18世紀に建築家のホセ・エルモシージャとフランシスコ・サバティーニによって建築された。でも大部分はサバティーニの建築だといわれている。この病院の歴史は16世紀にまでさかのぼり、フェリーぺ二世国王が、首都マドリードに点々と散らばっていた病院を、現美術館のある処に集めたのが聖・カルロス病院の設立の始め。18世紀のカルロス三世国王の時代には施設が小さくなったために、新築した。1788年にカルロス三世の死にともない、建築工事は中断され、サバティーニの建築計画の三分の一にしか及ばなかったものの、1965年の閉鎖に至るまでの間病院として使用された。この約180年間の間に何度と改装を繰り返されたり、取り壊しの噂も流れたものの、1977年には【歴史的美術的建造物】として保存建造物に指定される。1980年には、アントニオ・フェルナンデス・アルバの指揮により、建物の修復工事が始まり、19864月に『レイナ・ソフィア・芸術センター』の名のもとに開館し、地階と一階にて定期企画展が開かれていた。1988年 の暮れには、ホセ・ルイス・イニィゲス・デ・オンソニョとアントニオ・バスケス・デ・カストロにより改築工事が行われ、その中でも際立ったものは、イギリ ス建築家のイアン・リッチーの設計と協力による、いまや美術館の象徴とも言えるガラスとスチール製のエレベーターだった。
     美術館は、1988527日文化庁の管轄におかれた機関となり、大学都市内にあった旧・スペイン現代美術館の所蔵作品を受けた。それまで定期的な企画展のみを開催していた美術館も、1992910日には国王・王妃の出席のもと、レイナ・ソフィア・芸術センター美術館の常設展示の開幕式が行われた。このときからピカソの『ゲルニカ』のレイナ・ソフィア美術館での展示が始まった。
     その後収集作品、企画活動、施設、入場者数の増加に伴い美術館の増築案が提出され、2001年にはジャン・ヌーベルの設計で18世紀の建物に21世紀設計の建物がつなげられた。20059月に開幕式。そうして51.297㎡だった美術館の面積は、84.048㎡となり、世界でも有数の展示可能面積を誇る美術館となった。
     ちなみに思いついた美術館の展示面積をネットで調べてみたら、ニューヨークのMOMAは12.500㎡。ルーブル60.000㎡。オルセー30.000㎡。グッゲンハイム・ビルバオ美術館は11.000㎡。この展示面積というのは、彫刻やインスタレーションなら床にも展示するし、壁と床の合計なのだろうかと一瞬考えてしまった。。

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