スペインの田舎観光

    「【観光】という言葉は実に十二分美しい。」 と言ったのは東京に住む奇才の友人です。そういったことを考えると感慨深いものがあります。光を観賞するのですからこんな優雅なことはありません。
     芭蕉が人から聞いたものの未だ見たことのなく、更に古典で読み感動した地を訪れるのを心をワクワクさせながら東北・北陸地方の旅を夢見てはもも引の ほころびを繕い、早く気候が旅に適するまでと出発を指折り待っていたそうですが、その紀行文『おくの細道』の「日光」の地にてこんな俳句を書きました。
あらたふと 青葉若葉の 日の光
     士農工商の封建社会で貧富の差や身分の違いがあっても、日の光は万人に平等に与えられるお恵みものであると感じたようです。その当時の社会的な背景があった としても、500年以前に西行が感じた光を芭蕉も共有したのでしょう。彼は光そのものを観照し感じるままに詠ったようです。日の光というものはキラキラと 美しいものであると私も思います。田舎育ちの私は無意識のうちにもこういった自然の空気、におい、色、音と溢れるほど接触し感じていたことは確かなことです。幼いころに見た蛍の光は今でも記憶に残っています。光のみならず、風がフウと吹くたびにふわりと昔感じた第六感によるものを思い出すことさえあります。こんなことを思うと、感性と言うものは自然とともに生まれ、自然の中で育まれるものではないでしょうか。
      画家にとってデッサンは必須の技術法ですから、世にも著名な画家たちは当然のことながらこの技法も伴っています。レオナルド・ダ・ヴィンチの有名 な何冊かの手書き本の中には莫大なる数のデッサンが収められていますが、その中でも人間の解剖図や植物のデッサンには特に注目したものです。彼はこういった人間や植物の構造を綿密に観察してはデッサンし、その中に構造理論を見つけ出しては、後に機械や武器と言ったものを発明するときに応用したのでしょう。 ギリシャの哲学者たちは芸術とは自然模倣(ミーメシス)であると言う観念からさまざまな解釈を説きましたが、現代のような科学・技術発展によって機械に囲まれた生活の中にも、機械は自然とつながりがあるわけです。とはいえ、機械を発明するときに自然から模倣して作り上げたものでも、自然そのものではありま せんから、当然のことながら機械は自然の代わりにはなりえないわけで、そんな機械だらけの生活に疲れたときには自然にどっかりつかり休養すると言う人間の 知恵も当然のことなのでしょう。
    スペインでは田舎観光という新しいフレーズで各地方の観光局では宣伝キャンペーンを繰り広げています。スペインの国土面積は505,990km² で人口は約四千万人(2002年統計)ですから、日本の国土面積377,873km²にたいして人口12,00万人(2000年 統計)と比すれば、スペイン人一人当たりの国土の割合はグーンと広いわけです。そんなわけで、スペインの地方には過疎化した村をどのように保ち、人口を増 やすかと言う問題も抱えています。日本でもかなり出生率が減ったようですが、スペインの出生率は世界最低という記録も先だって発表になりました。それで も、出産年齢女性の数に対する割合ですから、人口の少ないスペイン人にとっては問題が深刻化してることは確かなことです。田舎にいくと、住民は6人だけでバルの看板もないけれど、観光訪問客にワイン、ビールや清涼飲料をサービスするバルもあります。そんなところに8世紀から13世 紀までスペインを制覇したアラビア人の建築した土埃まみれの城が、遠くから眺めるとまるで浮き上がった宇宙船のように高台にそびえています。こういった歴 史・文化的建築物はスペインのあちらこちらで見ることが出来ます。アラビア人が入る前には歴史をたどっていけばイベロ人、ケルト人、ギリシャ人、フェニキ ア人、カルタゴ人、ローマ帝国のローマ人、西ゴード人など次々と様々な民族がスペインの地に踏み込んだわけです。数学・物理研究に優れていたアラビア人は征服する土地毎に独自の技術で建物を建てました。有名なところを挙げればグラナダ市に在るアルハンブラ宮殿、コルドバ市などは町全体をアラビア人の作り上 げたとおりに保ち続けています。アラビア人は七世紀もの間に南の海岸線から上陸して北部に向かって征服していきましたが、13世 紀末に長い年月に渡ったアラビア人からの国土回復運動をイサベル(エリザベス)・フェルナンド両カトリック国王が完了させ、アラビア人の最後の砦はグラナ ダとなりました。そのほかにも各地にてロマネスク様式、ゴシック様式、ルネッサンス、バロック、アールヌーボーと言った芸術様式の建築物や美術品が多く見 られます。
     スペインがさまざまな芸術様式を抱える文化豊かな国と言うこともありますが、またさらに、自然の美しい国と言うことも見逃せないことです。私は太陽 がサンサンとすることだけで満足してしまいますが、太陽は生命の根源のひとつでもありますから、そこからいろんなものが生まれてきます。ヨーロッパ共同体 への加入以来、経済発展を目指し地方の人々の都市流入化も増し、人々はめまぐるしい都市生活に慣れるものの、やはり感じることの出来るのが人間であります から、週末や夏の長期休暇、クリスマス休暇、聖週間休暇などは時間が出来るたびに都市脱出をして各地方へと里帰りや小旅行をするのもスペインの特色です。 夏の7月・8月になるとマドリードは閑散とするのが常です。それは夏には日中気温40度を超え、暑い空気が見えそうなくらいドヨリと体の周りに浮かび、日が暮れてさえ暑いものですから、夜も眠れませんので夏の避暑習慣も当然のことですし、昨今ではあまり習慣がなくなったお昼寝タイムも日中に一番暑い午後2時から5時 までの間、疲れを取るという必然性の習慣なのかと納得します。スペイン人はヨーロッパ諸国の中でも別荘を持つ割合が随分高いと言う統計も聞かれました。海 や山岳地帯に別荘を買って毎夏過ごしたり、また地方では夏の避暑地用に月単位で貸してくれるマンションもたくさんあります。
     スペイン国内にはさまざまな言語がありますが、風景も土地によって様々だそうで、飛行機からそんな様子も見ることも出来ます。北部海岸地方のパイ ス・バスコ、カンタブリア、アスツーリア、ガリシア地方は降水量が多く、山々は青緑で、赤茶土の内陸とはかなり景色が違います。地中海側の街路樹はやしの 木が多いと言うのもマドリードでは見られないことですし、ポルトガル地方に隣接しているエストゥレマドゥーラ地方はゴツゴツの岩山が多いそうで、内陸です からかなり乾燥しています。そんな中からその土地においての料理も生まれてくるので各地において特有な料理も味わうこともひとつの喜びとなります。ワインも土地によって変わってきますからワイン好きな人にはもうひとつの楽しみとなることでしょう。
    スペインには国が運営管理するパラドールと呼ばれる宿泊施設が各地に86件 ほどあります。各パラドールによって宿泊料はまちまちですし、古い城や由緒ある屋敷、または修道院だったものをその原形を保ちながら改築したものや、現代 建築の建物もあります。その中でも特に人気の高くて部屋数が少ない故に泊まるのがなかなか難しいといわれているのがアルハンブラ宮殿内にあるパラドールで す。また、各パラドールにはレストランがあり、宿泊施設はいまひとつ平凡でもレストランは三本フォーク(最高)と言うパラドールもあり、食事のみにパラ ドールを訪れる人も少なくありません。
    不定期的に少しずつ、こういったスペインの地方を書いていきたいと思います。今回はブルゴ・デ・オスマです。
カスティージャ・イ・レオン自治州 ソリア県 ブルゴ・デ・オスマ  EL BURGO DE OSMA
     初めてソリア県にあるブルゴ・デ・オスマ市を訪れたときには、御伽噺の中に入ったかと思えるほどの町のつくりに見入ったものです。市内は一部アラビア人の 作った城壁に囲まれ、その側に尊厳たるゴシック様式のカテドラル(大聖堂)がそびえ出ています。この大聖堂広場からマヨール通りを歩けばすぐ左側に司教館 の門はまたアラビア人の幾何学模様を髣髴とさせ、とおりに沿って並ぶ家屋の外観は中世の様式のままです。ゆっくり歩いて五分も経たないうちにマヨール広場 (主要広場)に到着しますがこの広場には18世紀に立てられた市庁があり、その向かいにはやはり同時期に建てられた現在は図書館・文化展覧会会場と使用されている旧聖アウグスティン病院があります。このブルゴは公式には5千 の人口の市ですが、見かけは村と言う言葉が似合うところで、散歩すると、ゆっくり歩いても三十分で一回りできます。この地はマドリードおよびバルセローナ から車で一時間四十五分、定期バスだと三時間掛かるところに位置し、都会に住む人が避暑地として夏の間は人口が膨れ上がります。
    以前にパンプローナ市の77日 のサン・フェルミンネスについて書きましたが、各地にはこのような市町の守護神を祝うお祭りがあり、約一週間ほどお祝いを繰り広げます。このエル・ブルゴ のお祭りは毎年八月中旬で主催は市庁ですが主役はなんと言っても市民です。闘牛についての知識がありませんでしたが、闘牛士たちはこういった全国各地のお 祭りの巡回をしていたのかとつい先だって気がつきました。そんなわけで、ブルゴにも闘牛場があります。この一週間の間にさまざまな催しが行われます。宗教 的行事のほかにも花火の打ち上げ、毎晩朝方4時までマヨール広場で繰り広げられるポピュラーコンサート、 路上電車の形をした電動式のツクツクで市内をぐるりと回れたり、カートや巨大なトランポリンをマヨール広場に設置する子供広場、市民オーケストラによるク ラシックコンサート、三日間の闘牛などがあげられます。こういった地方のお祭り巡行するのは闘牛士たちだけではなく、移動遊園地や露店を張ってたくさんの 商品を売りさばく商人たちも、各地転々と回っています。
    この市の魅力は単に文化建造物の街中に入り込むと言うものだけではなく、周辺に田舎の風景があることです。10分歩くともう松林の中にいたり、ちょっと遠足するとひまわり畑の中にいたりすることで、川沿いに歩いていくと、アラビア人の建てた城と出会うことも出来ます。
     この地にも春先になるとコウノトリが渡ってきます。一度十羽ほどのコウノトリの群れがちょうど到着したのを見た時には感動してずっと何をするのかと 観察してました。カテドラルの塔にチョッととまってはそれからぐるりとカテドラルの周りを一回り、ふた周りして又とまり、足を曲げたり伸ばしたりなぞしな がら、それからまた一回り二周りと繰り返していました。このコウノトリたちはブルゴに残るのかと聞いたところ、また別の村に行ってしまうんだそうです。そ ういえば旧アウグスティン病院の屋根の上には大きなコウノトリの巣があり、その中にずっと置き去りにされた大きな卵が今でも残っていますが、あの巣にはも う戻らないのかと少しさびしい気分になりました。動物たちは人間よりも自然の環境の変化に敏感ですから、コウノトリが戻らないと言う事実はきっと自然破壊 のなりゆきをあらわすものなのでしょう。車で三十分ほどの所にリオ・ロボ大渓谷があり、ハゲワシ、はやぶさ、わし、オオタカ、捕食性の夜行鳥類が生息し、 植物樹木はトショウ、松、樫、低木群、または芳香植物などがあります。
     またこの地では豚の畜産が盛んで、豚の加工品も有名です。スペインでは肉をかなり食するのですが、豚、鶏、牛のほかにも、去勢牛、ウサギ、子羊、う ずら、七面鳥の肉などもいつもスペインの肉屋さんで売られています。牛肉は日本の小売値段より八分の一程度の安さで売られていますが、豚は牛肉よりかなり 安く売られてます。それでも、この地産の豚精肉はマドリードで食べるものよりもかなり美味しく、普段あまり豚を食べない私ですがブルゴに行くたびにポーク ばかり買ってしまうのもそんなことからです。世界のいろんな所では豚の頭の先からつま先まですべて食されていますが、精肉のほかにもいろんな加工品が売ら れてあり、もちろん有名な生ハム、チョリソ、ソーセージの他、モルシージャ morcilla と言う名の豚の血に白米ご飯、香辛料、たまねぎを混ぜて作られた直径約三センチの腸詰も美味ですし、あばら骨の部分をアドボ(にんにく、パプリカ、オレガノ、油、ブドウ酢、こしょう)につけた半生リブなども美味しくいただけます。
プエンテフエンテ 20045月     スペインの田舎観光 © 2004小田照美   

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